眉山はつと山王寺屋のモデルその後は?子孫は現在も存在か【あさが来た】

NHK朝ドラ「あさが来た」の評判が良いようですね。

あさが来た
画像:NHKドラマ スタッフブログ

私自身もドラマが始まった当初は、面白くなるのかな?って思っていました。
しかし、今は毎回楽しく観ています。

個人的に思うのはドラマを面白くしている理由の一つは主人公”白岡あさ”ではなく、山王寺屋に嫁いだ姉の”眉山はつ”ではないでしょうか。

女性に不信感を抱く夫に嫁いだ”はつ”
嫁ぎ先では姑によるいびりに耐え、さらに稼業の両替屋が廃業し夜逃げと不幸の連続。

農家の家を間借りしなんとか生計をたて、ようやく生活も落ち着き妊娠、出産。
その矢先、今度は夫が謎の失踪と・・・。

順風満帆な”あさ”とは対照的。

これから”眉山はつ”と山王寺屋はどうなってしまうのだろう。

NHK朝ドラ「あさが来た」は史実に基づいたドラマ。

史実を調べればその後のストーリーの予想を立てることが出来ます。

そこで・・・。

今後が気になる山王寺屋と眉山はつについて調べてみました。

できるだけわかりやすくご紹介します。

スポンサーリンク
広告336×280

眉山はつのモデルは

ドラマでは”眉山はつ”は呉服屋と両替屋を営む京都の豪商・今井家の長女となっています。

はつの実家、今井家のモデルとなったのは三井家。

三井家(みついけ)は、日本の氏族。江戸時代の豪商であり、三井財閥の当主の一族。
出典:ウィキペディア

はつさんのモデルは”三井春(結婚後、大眉春)”さん。

主人公あさのモデルとなった”三井浅子(結婚後、広岡浅子)の異母姉と言われています。

ドラマでは結婚後、不幸続き。史実ではどうだったのでしょうか。
これから人生の巻き返しはあるのでしょうか。

山王寺屋のモデルは

はつの嫁ぎ先、山王寺屋のモデルとなったのは大阪の天王寺屋。

寛永5年(1682年)から続く大阪両替商。

初代、天王寺屋五兵衛は相当に商才のあった人だったようです。

寛文10年(1670年)には、大坂町奉行により両替商を統括する十人両替仲間の筆頭に任命された。手形制度を創設して信用取引のはじまりを確立したのも五兵衛である。諸大名の大坂蔵屋敷の蔵元や掛屋も務め、大名貸にも応じ、幕府御用金の徴募も代行した。
出典:ウィキペディア

初代、天王寺屋五兵衛の本名は、大眉光重(おおまゆ みつしげ)

天王寺屋は代々五兵衛の名を継いでいます。

はつが嫁いだ眉山惣兵衛のモデルになったのは9代目の天王寺屋五兵衛という人物。

その後の眉山惣兵衛とはつは

天王寺屋は、明治という時代の流れに乗ることが出来ず倒産。

眉山はつのモデルとなった大眉春さんは25歳(27歳という説もあり)で亡くなったとされています。

はつの夫、眉山惣兵衛のモデルとなった大眉五兵衛について詳しいことはわかっていません。

天王寺屋のその後の詳しいことは分からないようです。
この時代、没落した一族のことなんて記録に残らないでしょう。

しかしその後、天王寺屋の子孫が現存していることがわかったという情報もあります。

その辺りのことは、今後のストーリーで明らかになっていくでしょう。

まとめ

NHK朝ドラ「あさが来た」の前半は主人公、あさと姉のはつの物語でしょうか。
史実どおりなら間もなくあさの姉、はつさんは死をむかえます。

日本中の”朝ドラ”ファンにとって涙なくして観ることの出来ない回となるでしょう。

願わくば、この先、はつさんに幸せな時を過ごさせて欲しいです。

スポンサーリンク
広告336×280

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
広告336×280